キリスト教分裂3-完璧帝ハインリヒ3世の禍根

ハインリヒ3世で帝権は絶頂に達する。彼は父コンラート2世の英才教育を受け、1039年、22歳でドイツ王となったときは異論を持つ者は居なかった、さらにフランケン公、バイエルン公、シュバーヴェン公も兼ねており。この所領を弱小貴族に移管することで、ますます帝権を強めていった。

彼は帝国教会政策を強め、諸侯の力と対抗させるべくますます教会勢力を強めていった。それが次の代に仇になるとは思ってもよらなかっただろう。さらに彼は、ボヘミア、ハンガリー、ポーランドの周辺諸国にもドイツ王の権威を認めさせている。

1046年、北方を安定させた王はイタリア遠征を挙行。ハインリヒ聖帝以後ヴァチカンはまた乱脈を極め、ベネディクトゥス9世は何と銀1000タラントでグレゴリウス6世に教皇位を売却!その後も3人が教皇位を争った。ハインリヒは新たにクレメンス2世を立てて混乱に決着をつけてこの教皇により戴冠した。

1055年、イタリアで勝手に領地拡大をしていたトスカナ伯ゴッドフレードを追放。本人逃げ去り、母子が残された。ハインリヒは母子をドイツへ連行するが、残してきた長男と次女が死んでしまう。そして残った子供こそ「カノッサの屈辱」の仕掛け人、女伯マティルデであった。完璧な治世だったハインリヒは1056年病で崩御。残された5歳の息子に抑えられた勢力が襲いかかる。

下はヴァチカンを従えたハインリヒ3世

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。