キリスト教分裂2-あまちゃん王アンリ1世

1031年に即位したアンリ1世だが、母コンスタンツがまたもや3男、4男に反乱させ、独立系諸侯も反乱させたというからハンパじゃない。前回も書いたが、この時代まだ女性は相続権もっていて強かった。中世史の大家、ペルヌー女史はキリスト教の1夫1婦制の効果だと述べている。

たまらず王はノルマンディーに逃げて、領地をやる見返りに兵隊をもらって逆襲に転じ、母コンスタンツを幽閉する。1034年にトラブルメーカーの母が亡くなってようやく安堵を得た。弟達はおとがめなしで、ロベールはブルゴーニュ公につけた。さすがに身内を処分する余裕はなかったようだ。

国内でシカト状態のアンリは国外と同盟しようとする、ローマ皇帝コンラート2世との縁談は当の皇女がなくなってしまう、皇后の元夫の娘と結婚したがこれも死去。父譲りの女運の悪さよ。そして信頼していたコンラート2世にはブルグンドを盗られてしまい、諸侯にも次々に領地を増やされてしまった、甘ちゃんだねえ。

もはやできることは、父と同じく子孫に期待を託すのみ。キエフ公家のアンヌを、ビザンツの血筋とPRして1051年に結婚。翌1年に王子が誕生すると、7歳で共同統治者にして世継ぎを決めた、だってもはや51歳。またまた残念な仏王だが、息子にはフィリップというアレキサンダー大王の父の名をつけた。

下は反乱した弟ロベールを許すアンリ1世

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。