キリスト教分裂1-ザーリア朝コンラート帝国

後継を失ったザクセン朝から諸侯会議で1024年にフランケン公コンラート2世を王に選出した。ザーリア朝の始まりである。1026年にはイタリア遠征を行い、イタリア王、そして皇帝の戴冠を受けた。この頃から「ローマ帝国」という文字が文書に現れる。ハインリヒ2世の成果で、イタリアも教皇も友好関係を保った。このためドイツ内部に力を注ぐことができた。

彼もまた「帝国教会政策」にのっとり、有力な司教領を直轄化にして帝権の強化を図ったが、そろそろ反発が教会側から起こってくる時代に入っている。また諸侯をけん制するために、下級諸侯を守ったり、半農の下級騎士に王の土地を任せたりしている。

1036年にはブルグント王ルドルフ3世の後継に介入してこの王国をゲット、ここに帝国はドイツ、フランス、イタリアに領土を広げ、一応ローマ帝国と言っていい規模となった。実はブルグントは妻ギーゼラの血縁であり、彼女の画策の成果である。

ギーゼラは13歳で初婚して、コンラート2世とは3度目の結婚。ここまでくれば政治もわかるということで、彼女も皇帝の評議会を仕切ったり、教会政策にかなり関与している。実は中世では女性も相続権をもち活躍していたのである。彼女は残念ながら以前の皇后のように聖女認定はもらえなかったが。

下はシュパイヤー大聖堂のコンラート2世像

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。