ウィーン体制のドイツは、35君主国と4自由都市で、「ドイツ連邦」がつくられた。しかしナポレオン戦争中に、フィヒテなどによって「ドイツ民族」意識がアジテートされた市民が納得するわけがない。その統一運動がなんと体操がきっかけというのはいかにもドイツたしいのかどうか?
「ドイツ体操の父」と呼ばれるフリードリヒ・ルートヴィヒ・ヤーンは、1806年にドイツ体操祭を開催し、それはドイツ中に広がった。ヤーンは、少年の頃から、体操によって共同性や規律を身に着けて、中世のキリスト教共同体に代わる新しい国家共同体を創ろうとした、フランス革命中の連盟祭のように。
そして1815年、イェーナ大学で143名で学生の新しい組織「ブルシェンシャフト」が生まれた。翌16年、ヤーンの弟子の学生2人が、体操祭に触発されて、17年の宗教改革300年とライプツィヒ戦勝4周年の祝祭を行うことを思いつき、そこでブルシェンシャフト大会もしようと組織の賛同を得た。
1817年10月18日ドイツ学生の半数の450人がアイゼナハ城に集まった。ここでドイツ統一のスピーチをして気勢をあげ、大きなかがり火をあげて祝った。大半の学生は帰ったが、残った過激派がルター派をまねて、イェーナの印刷所にあった反故紙を適当に燃やした。これが大きな問題となる。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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