986年、西フランク国王ルイ5世がその臣下たちに緊急招集をかけた。その目的は当時の宗教界最高権力者ランス大司教アダルベールを告発して裏切り者として裁判にかけること。ところが参集した臣下達が見たものは亡くなった王の遺体だった。
葬儀がすんだあとアダルベールは悠々と言ってのけた「キミタチ私を裁判にかけに来たんだろ?遠慮せず告発してくれたまえ」言葉を発する者は誰も居なかった。アダルベールは続けた「何もないんなら次の国王選ばなくっちゃね」どう見ても怪しすぎるだろうこれ!
数日後国王選出のために皆はまた集まった。候補者は2人、国王の叔父シャルルしかし彼は神聖ローマのロートリンゲン公、もう一人は1世紀くらい摂政の家系のユーグ。さて血筋をとるか力を取るか?アダルベールは「王はふさわしい者がなるべきだ」と言ってユーグ推薦、カペー朝が成立カロリング朝はなくなった。
翌987年、ノワイヨンにてユーグの即位式が挙行され、ユーグにクローヴィスの聖油が塗られて王となった。ところでカペー朝とは名字ではなく雨具の「カッパ」という意味。ユーグがいつも着てる長衣がダサいカッパのようだ、というので「カッパ王」と言われたのだ。
下はユーグ・カペーの戴冠
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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