帝国分裂2-敬虔帝後妻によりて錯乱ス

ルートヴィヒは、敬虔帝と称されるが、非常に真面目な男だった。817年に発布した「帝国計画令」では、長子ロタールに皇帝が継承され共同皇帝に定められた。そして次男ピピンにはアキタニア、三男ルートヴィヒはバイエルンを、あくまで皇帝に従うものとして与えられた。ここまではスタッフ大成功なのだ。

ところが真面目な男ほど一度狂うとすごいのだ。818年にルートヴィヒは妻に死別、23歳ピチプリのユディトをもらい823年に王子シャルルを生んだ。となると妻に「ねー、アタシの子供もイッショじゃなくちゃイヤン?」とねだられて、あっさり前言半分撤回して、この子にもかなりの領地を与えるようにした!

これで前妻の息子達が反乱を起こし、833年に父皇帝を廃して長男ロタールが皇帝となったのだ。ところがロタールと廷臣達は、帝国一体主義者で、弟達の領地を白紙に戻してしまったので、今度は弟達が父と組み、長男をイタリアに追放してしまった。

しかしもう後妻にやられまくっていた父は、長男の領地をシャルルに与え、あまつさえ共同皇帝にして、帝国を継がせようという暴挙!次男が亡くなると、その領地をめぐってアキタニアで戦争が始まった。

下は追放された長男ロタール

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。