王宮が造られてからは、カール大帝の統治も安定していったようだ。795年、アヴァール人に内紛が起こり、ある氏族がフランクに帰属を申し出た。この機にカールは、アヴァールに派兵して中心地「リング」を攻略し、多くの金品を持ち帰った。アインハルトは「こんなに財産が増えた戦いはなかった」といったほどである。
フランクはハンガリーの多くの部分を支配下に入れ、ザクセンの反乱もかつてほどではなかった。アルクィンは、「もっとゆっくりとしてはいかがでしょうか?」と進言したが、カールは聞く耳を持たず息子ルイまでザクセンに投入した。そんなとき、教皇ハドリアヌス1世が崩御する。カールは号泣した。
795年12月26日、新教皇レオ3世が選出された。新教皇は、ローマの貧民からの成り上がりで、貴族には敵が多い。また成り上がり特有の贅沢をしていたという噂もあった。この就任にあたって大帝は、アヴァールの財宝と共に書簡を送り、キリスト教を守り、世に行き渡らせるのは自分であり、教皇は自分のために祈ってくれ、と自信たっぷりに書いた。
そして799年、レオ3世が、前教皇の親族に襲撃され、幽閉されかかる、という大事件が勃発した。教皇はからくもスポレトに逃れた。その事件をザクセンのパーダーボルン宮廷できいたカールはすぐには動かなかった。
下はアヴァール人と共に闘うカール大帝
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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