カール大帝の夢12-ザクセンに宣教師入る

「一般訓令」でキリスト教統治を掲げたカール大帝は各地に宣教師を派遣し、キリスト教会を建てた。戦争をしたザクセン地方にも、ヴィドゥキントが改宗してからは、アルクィンの弟子聖ルドゲルスが宣教に入っている。また聖ブレハトもさらに北のブレーメンに宣教に入っている。

ルドゲルスは、カールのつくった拠点パーダーボルンの近くのミュンスターに修道院をつくり、そこを宣教の拠点とした。ミュンスターには、徐々にフランクからの移住者が住み着き、ザクセン植民の拠点ともなっていった。ブレーメンのほうは一時司祭が殺害されたりしたが、787年に司教座がおかれた。ブレーメンは、東西南北を結ぶ十字路の拠点であり、確保したかったのだろう。

しかし、ザクセン宣教は簡単ではなかった。790年初めから再び反乱が起こってきてカールは軍をさしむけた。カールはこの戦さで危うく一命の危機に陥ることがあった、と伝承には書かれている。

戦闘で敗北し、マイン河畔で霧で見通しがきかない時神に祈ると、一匹の白い鹿が小鹿と現れ、道を示してくれた、そこでここを「フランクの渡し場=フランクフルト」と名付けたのが現在の都市の由来とされている。フランクフルトは、ザクセンへの供給拠点となり、ここにも王宮が置かれることとなった。

下は聖ルドゲルスのザクセン宣教

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。