ヴァチカンの野望5-カロリング朝の誕生

その頃ローマは結構ピンチだった。ユスティニアス大帝亡き後、イタリアにはゲルマン系のランゴバルト王国が誕生し、ローマを脅かしていた。イスラムでは750年にアッバース朝が成立、中央集権型の帝国として勢力を確立していた。帝国は、地中海の海上覇権を達成し、シチリアが狙われていた。

実はこの苦難の時代に「永遠のローマ」というキャッチコピーができたらしい。西ローマ亡き後ヴァチカンは新たにキリスト教の首都というイメージを演出したのである。その後の歴史を見るとき、この戦略はかなり成功したといえる。

741年、カロリング家の名声を高らしめたカールマルテルが亡くなり、息子のカールマンとピピン3世がフランク内部の王国の宮宰となった。しかし747年、権力争いに負けた兄カールマンは修道院に隠棲した。ドイツの使徒ボニファティウスは如才なく、ピピンとローマの間を取り持った。

ピピンは、教皇に「王の称号を持つ者と力を持つ者はどちらが王にふさわしいか」という問いを発し、教皇は「実権を持つ者」と答え、751年ついにボニファティウスによって戴冠し、カロリング王朝が生まれた。大きな仕事を成したボニファティウスだが、754年ネーデルランドへ宣教へ行く旅で盗賊に襲われ殉教し列聖された。

下はピピン三世の戴冠

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。