ヴァチカンの野望1-ドイツの使徒ボニファティウス

この時代ブリテン島から命知らずの宣教者が渡ってきた。ブリテンには、グレゴリウス1世の時代に宣教者を送っていたが、それがこの時代実ったということだ。最初の大物はピピン2世の時代、「フリースランドの使徒」と呼ばれる聖ヴィブリロード。彼はユトレヒトに司教座をつくった。

そして次に「ドイツの使徒」と呼ばれる聖ボニファティウスがやって来る。彼はローマで719年、教皇からゲルマニアへの宣教許可をもらい、カール・マルテルの庇護を受けた。ここでフランクとローマとの繋がりができたのである。王国のゲルマニアへの拡大を狙うマルテルにとってもメリットがあった。

ボニファティウスは723年、フリッツラーで、トールに捧げた聖樹を切り倒すという荒業を行った。「もし聖なるものなら我に雷を落として見よ」と言ってパフォーマンスをしたらしい。結局雷は落ちず。ボニファティウスはその木で礼拝堂をつくった。現地の自然信仰との融合を図ったといえる。

彼はフランク宮廷のアドバイザーとしても活躍し、745年マインツにドイツ司教座を固めた。なぜマインツだったかというと、ケルンにもトリーアも権威が固まっており、自分がやりにくかったので新たにマインツにしたという極めて人間的な事情である。そして彼が仲介してローマがヨーロッパの中心となるのである。

下は切り倒した樹で造ったフリッツラー大聖堂の前で斧持って立つ聖ボニファティウス

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。