732年、ついにフランク王国とイスラムが最初に激突した。今日まで至るイスラムと西欧との関係の出発点である。人間の記憶は自分達が攻められた記憶だけは鮮明のようだ、西欧は「まずイスラムが侵略した」と思っている。アメリカは日本が真珠湾を攻撃したと記憶し、日本はアメリカが空襲をしたと記憶する。
イスラムは、トゥールのサンマルタン教会に財宝があるとの噂をきき、軍を差し向けた。これに対してついにカールマルテルは立ち向かう。トゥールの教会にはまだイスラムは到着していなかったため、両軍はトゥールとポアティエ間の平原であいまみえることとなった。
イスラムの戦法は、アラブ馬を生かした散開戦法である。これをよく研究していたマルテルは、重装歩兵を中心として密集戦法で盾の壁を築いた。アラブはよくわからず突撃を繰り返し、槍で殺された。戦闘は日没まで続いたが、将軍を殺されたイスラムは撤退した。もっとも、トゥールまで行くとさすがに寒く、イスラムは進攻する気が失せたという説もある。
イスラムを撃退したマルテルの声望はあがり、教会の領地政策をすすめることができ、カロリングの王位の契機となった。一方ヨーロッパ進攻が頓挫したイスラムでは、「ジハード=聖戦」の思想はなくなり、イベリア半島を中心とした統治に移り、イスラム文化を育て、西欧に直接その影響が入ることとなる。
下はシャルル・ステューベン作「トゥール・ポアティエの戦い」カールマルテルは槌ではなく斧を振りあげている
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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