ユスティニアヌスは、皇帝の権威を示すものとして、コンスタンティヌスもテオドシウスも開催したキリスト教公会議をコンスタンティノープルで開催した。議題はキリストが人性と神性を合わせ持つ(両性論)のか、神性のみ(単性論)なのか、ということであった。
単性論は、東方アレクサンドリア学派で優勢であり、前回のカルケドン公会議で西方優勢で決まった両性論をこの会議では、単性論の方向にシフトさせた。ところが今度は西方教会が不満であり、この論争は決着がつかなかった。ローマ帝国のシステムでは、皇帝がトップに立った政教一致なのだが、西ローマ滅亡で自立化を強めていた西方とは意見が合わなくなる。
565年、大帝ユスティニアヌスは崩御した。ローマ帝国再興の夢は達成されたが、実際は膨大な戦費に、帝国民は疲弊していた。晩年にはイタリアに、ゲルマン系ランゴバルド族が侵入。大帝は定住を許したが、大帝亡き後ランゴバルド王国を築くことになった。
西方教会は、ローマが東ローマ帝国に抑えられた一方で、ガリアは自立状態だった。サンピエトロ大聖堂を持つローマはご本家意識が強く、東ローマが再び衰退する中で、ローマに代わる新しいパートナーを探すことになる。
下はラヴェンナのサン・ヴィターレ教会のユスティニアヌス大帝ドヤ顔のモザイク
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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