ナポレオン45-運命のロシア侵攻

1812年6月、ナポレオン運命のロシア侵攻が始まった。総勢40万とも60万とも言われる大部隊である。日本で言えば秀吉の北条征伐のようなものと思っていたかもしれないが、実際は朝鮮戦役だった。というのも、ナポレオンの勝利は、啓蒙思想が浸透した欧州中央部で、住民からの期待があった。

ロシアといえば、啓蒙主義はペテルスブルクの一部にすぎず、しかもナポレオンは、帝政によってその貯金を使い果たしていた。正教で思想統制したロシアは「祖国を守れ」と一致できた。この点では、20世紀アメリカのアジアやイスラム圏での失敗とよく似ている。

ナポレオンの得意戦法は、同程度の戦力で決戦にもちこみ、機動性を生かして勝利することである。この大軍ではそれができない。まるでロシアに持久戦に持ち込めと言っているようなものだ。兵站線を今回は整備したというが、それでもこの大軍に食わせるには並大抵ではない。

ロシア司令官バルクライは、決戦に応じず、退却を繰り返した。これには貴族から批判が起こり、皇帝アレクザンドル1世は、国民から信頼の篤い老将クトゥーゾフに替える。しかし彼もむやみに突進はせず、モスクワ近くのボロジノで迎え撃った。この戦いは両者かなりの犠牲を出して、ロシアは撤退した。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。