西ローマ滅亡の道10-恐怖の大王アッティラ

434年、フン族の中でアッティラが族長となった。遊牧民族は、普段はバラバラだが、有能でカリスマのある指導者が出ると、一体になって急激に強大になる。東洋では匈奴として紀元前から有名であるが、ヨーロッパはこれが初体験である。

東ローマは、多額の貢納金を払って、なんとか撤退してもらった。東帝テオドシウス2世はこの経験から、有名なコンスタンティノープルの「テオドシウスの三重壁」を構築する。引き上げたアッティラは、フランス東のブルゴーニュにあったブングルト王国を滅ぼす。このときの経験が中世叙事詩「ニーベルンゲンの歌」に反映されている。

その後、アッティラはササン朝ペルシアを攻撃、アルメニアで敗退してヨーロッパに戻った。この間ドナウ防衛部隊は、ローマの穀物蔵であったアフリカを制圧したヴァンダル族に向けられ、アッティラは、ドナウ河を越え、バルカン半島に攻め込んだ。東ローマは今度は戦闘するが、コンスタンティノープルの城壁寸前まで攻め込まれ、結局さらに多くの貢納金を払った。

450年、ガリアを制圧していた西ゴート王国に侵入、ガリア一帯を蹂躙した。西ゴートと西ローマは連合して、451年カタラウムの戦いで双方とも多くの犠牲を出す大激戦を演じて、ようやくアッティラを撤退させたが、西ゴート王テオドリックは戦死した。

下はドラクロア作フランスブルボン宮殿の「アッティラ大王」

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。