アウグスティヌスは、ペラギウス派とも論戦を行った。ペラギウス派の考えは、人間は神に作られた善なるもので、自らの力だけで救うことができるという自力論である。これに対してアウグスティヌスは、人間は善意志をもっていて善に向かいたいのだが、悪を防ぎえないので、神からの救済が必要という他力論である。
自力か他力かは、仏教でも問題になる、人間の永遠のテーマといっていい。近代になって科学や経済が発展すれば人間は自分でいい世界をつくれるという考えになってきた。しかし現在は、これだけ人類が発展しても、いっこうに問題は減らない。かえって地球環境という大きな問題が出ている。
ネットが発達すれば、それはテロが世界に拡散することになり、偽情報が広がることとなった。今は自力論がかなり揺らぎ「どうせ人間はこんなもん」と絶望が支配するようになっている。他力といっても、神様にお任せではない。カトリックは神を信じながら、善行も励めという立場である。
310年のローマ略奪は様々な影響をもたらした。帝国の昔を懐かしむ者からは塩野七生のように、キリスト教に変えたからローマは衰退した、との非難が広がった。アフリカの護民官マルケルリウスは、アウグスティヌスに反論するよう要請した。これに応えて執筆したのが畢生の大作「神の国」である。
下は「神の国」の表紙
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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