西ローマ滅亡の道5-スティリコとアラリック

397年4月4日、ミラノの司教アンブロジウスが帰天した。彼は、東方教父の思想を西方に伝え、西方教会の水準を高めた人である。また「だめなものはだめ」と皇帝の権力に対抗した硬骨漢でもあった。塩野七生の中では、まるで皇帝にとりいった陰謀家のようであるが、多分はずれ。塩野氏の著作ではローマ帝国はまるで現代民主主義国家のようだ。

アンブロジウスの後にはアウグスティヌスに懇意のシンプリキアヌスが司教となったが、彼ほどの八面六臂の活躍はできなかったろう。西ローマはまた大事な人間をなくしたといえる。そしてその間、アラリックは、東ローマの軍事司令官として、爪を研いでいた。

401年、アラリックはいよいよイタリア侵入を開始、西ローマ首都ミラノを包囲した。スティリコは、ガリア兵、ドナウ兵などを動員して翌年ポレンティアの戦いに勝利、再度侵攻するアラリックを、ヴェローナの戦いでうち破った。しかしアラリックが引き上げて東ローマまで追うことはできない。

そして西ローマは、帝都をミラノからラヴェンナに移して防衛を固めた。しかしガリア北地方から兵力を撤退させた結果、もう一人王ラダカイススに率いられたゴート族の大軍が侵入し、ガリアは混乱に陥ることとなった。

左がスティリコ、右がアラリック

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。