西ローマ滅亡の道1-唯一の国教キリスト教

東帝テオドシウスは、388年ついに簒奪者マクシムスをサウァ河畔の戦いで討伐し、ウァレンティアヌス2世を西帝に復帰させた。390年、テサロニケで民衆暴動が起こり、総督が殺害された。テオドシウスは怒り、厳しく鎮圧するように命じた。

その怒りは軍に伝染し、この街で1万5千人が虐殺された。皇帝は鎮めようとしたがあとの祭り。この虐殺に対してミラノ司教アンブロシウスは、皇帝を教会に入れることを拒否、彼を破門して、公開謝罪を要求した。数カ月後、皇帝は悔い改めて破門を取り消された。

この事件は、アンブロシウスの気概やかくもであるが、何者にも勝る皇帝が、聖職者に懺悔するという、以前では考えられない出来事だった。392年、ウァレンティアヌス2世はまたもや反乱で亡くなると、西は簒奪者エウゲニウスが皇帝となった。彼は、元元老院貴族に支持され、ローマの神々の復興を謀った。

テオドシウスは同年、遂にアナタシウス正統派キリスト教以外の宗教をローマで全面的に禁止、キリスト教はローマの独占的国教となった。394年、フリギドゥスの戦いで、簒奪者エウゲニウスを打ち破り、コンスタンティヌス大帝以来、帝国を唯一の皇帝として統治した。

下はファン・ダイク作「聖アンブロジウスに教会入場を拒否される皇帝テオドシウス」

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。