アウグスティヌスと母モニカ1-ローマ末天才少年

354年、アルジェリアで一人の子供が生まれた。中世以降の哲学を創ったアウグスティヌスである。母モニカはそのとき20歳代のキリスト教徒、父パトリクスは、40代の市会議員、つまりローマの都市公務員だった。彼は結構道楽者で、家はいつも窮々としていた。もっともこの頃のローマ人は家庭生活なんぞ考えていたかどうか。

しかし、敬虔なキリスト教徒の家で育ったモニカはいつも悩み、神に祈っていた。それが気に入らない夫は、酒に酔っては、彼女に暴力をふるった。浮気なんざ男の甲斐性。しかし当時離婚の権利などは女性に認められていなかった。そしてキリスト教信者として、それでも夫につかえたという。

彼女には3人の子供が居たが、アウグスティヌスは次男だった。彼女は息子たちにいつもキリスト教の神様の話をきかせていた。彼女は、子供に本を読ませたが、暗記するくらいになるまで、他の本を与えなかった。後年アウグスティヌスはこれを母に感謝している。しかし、それにしてもこの次男ののみこみは早かった。

次男に勉学の才があるとわかった父は、13歳から隣町のマダウラで勉強をさせた。息子はここで、ラテン文学に夢中になった。しかし同時に、ラテン文学の官能的な愛の世界にも取りこまれた。16歳、青春まっただ中、帰郷した息子が沐浴しているとき、父は息子の下半身も立派に育っていることに喜んだ。母は心配で胸が張り裂けそうだった。

下右がアウグスティヌスの誕生、左が教育ママモニカと学校に行くアウグスティヌス

0コメント

  • 1000 / 1000

キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。