大帝コンスタンティヌスの母ヘレナ28-暴君

最高権力者が罪の意識を持つか、ということは今に至るまで興味深い問題である。ローマ皇帝は多分持たなかっただろう、その代わり来世のために立派な墓を建てた、それは古代ではエジプトでも中国でも天皇でも変わらない。しかしキリスト教では事情が違ってくる。

旧約聖書の有名なダヴィデ王は人妻バト・シェバに浮気をして、その夫をわざと厳しい戦場で死なせて、自分のものにした。王はその罪を悔悛しなければならなかった。コンスタンティヌス54歳、そろそろ来世が心配になる頃である。母は、もうその準備をしてますますキリスト教に力を入れる。彼も意識になかったというのは嘘だろう。日本では藤原頼道が平等院を建立している。

330年、コンスタンティノープルができ、彼はここに聖使徒教会を建て、歴代皇帝の廟とした。そしてその年、母ヘレナが亡くなった。母の遺言通り、トリーアの宮殿は大聖堂に改築された。母が亡くなった後、皇帝は暴君化傾向を強めた。傍に司教エウセビオスを置いたがこれは公会議で否定されたアリウス派だった。一説によればアリウス派は、キリストよりも父の神を上に置くので、愛と寛容よりも権威を好んだこの頃の帝の好みだったという。

ともあれ、彼らの言うことをきいて、皇帝は強制的にキリスト教を振興しようとするようになっていった。331年、哲学者ソパトロスを処刑し、それを契機に、新プラトン主義の書物を焚書にした。晩年に近づくにつれ、帝は傲慢でかたくなになっていった、と批判する当時の歴史家も居る。そしてその年、ドナウ川防衛ラインを突破してゴート族が攻め込んできた。

下はエフゲニー・ジルベルト作「預言者ナタンに罪を咎められるダヴィデ王」

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。