ナポレオン27-神聖ローマ帝国解体

1805年12月5日、墺領プレスブルクで、仏墺間の講和条約が締結された。イタリア王国の承認、実はもう5月にナポレオンは北イタリアにつくった「共和国」を自分を王とする王国に替えていた。翌年南イタリアに侵攻してイタリア全土が自分のものになる。そしてバラバラだったイタリアが強制的に統一する。

さらに、墺領チロルなどもバイエルンに割譲され、バイエルンなどが王国として独立した。翌06年帝国諸侯は、マインツ大司教を首座とするライン同盟をつくって帝国を離脱する。神聖ローマ皇帝フランツ2世は、皇帝を退位、962年からの由緒ある帝国はなくなった、もっともその前にオーストリア帝国ができていたが。

神聖ローマは、教皇がつくり、領邦の集まりという中世的システムだった。近世となり、最大領主ハプスブルクが皇帝を世襲したという点では江戸幕府と似ている。独伊の中世的領邦体制が、ナポレオンの近代的中央集権に変えられたという点に大きな意味を持つ。

これを契機に、イギリスが主導した第三次対仏大同盟は崩壊した。アメリカ独立からジョージ3世のもとでイギリスを率いてきた首相ウィリアム・ピットも、翌年亡くなる。彼はアウステルリッツの敗北を知ったとき「すべての地図をまきあげてしまえ。あと10年は必要ない」と言ったそうだ。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。