ニカイア公会議ではエルサレムを聖地とすることが決められた。翌326年、その地に巡礼に行ったのが母ヘレナだった。迫害時代にはゴルゴダの丘にはローマ神像が建てられていたが、息子によって除去され、母はそこに教会を建てるように指示した。これが現在も残る聖墳墓教会である。
そして彼女は、夢に導かれて、キリストの処刑された十字架を発見したとされている。十字架は3本発見されたが、その上に病人を寝かせると、たちまち快癒した一本の十字架があったので、これが本物とわかったということである。この十字架は、聖墳墓教会に置かれ、木片や釘などが聖遺物として持ちかえられた。しかし聖墳墓教会の破壊が後の十字軍の原因となり、聖十字架が、戦の象徴となるとは思ってもいなかっただろう。
しかし母の巡礼の原因は、他の説もある。この年、副帝となっていたコンスタンティヌスの息子クリスプスが処刑された。訴えたのは皇后ファウスタである。罪状は義母ファウスタと関係を持とうとした、ということだが、彼は先妻の子であり、ファウスタは実の息子に帝位を継がせたかったため、と容易に推測できる。
ところが、その皇后もまた暗殺されるのである。「皇帝伝要約」ではその原因は、母ヘレナが、孫の死を悲しみ、息子の皇帝に教唆したと示唆している。皇帝も皇后の陰謀を知ったようだ。皇后は、浴場に入っているところを閉じ込められ、「釜ゆで」にされた、とのことである。母は自分のやった罪業を深く後悔し、巡礼に出かけたという説である。息子はどう思っただろうか?
下はアニョロ・ガッディの「聖十字架を発見する聖ヘレナ」
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
0コメント