大帝コンスタンティヌスの母ヘレナ26-公会議

キリスト教の歴史における最初の公会議「ニカイア公会議」は、325年5月20日から1カ月間、現トルコのニカイアで行われた。参加者は250人で、ほぼ東方からの司教だったという。結論からいえば、この会議は、神とイエスが同じであるというアタナシウス派が教義とされ、アリウス派は異端とされた。コンスタンティヌスは、司教達の通行を提供し、自ら哲学者も交えた顧問団を連れて参加した。

ここでキリスト教として初めてのマニフェストである「ニカイア信条」が決定され、その後付けくわえられて今日まで教徒達はこれを唱えている。コンスタンティヌスは、教義論争にあまり興味はなく、ともかくキリスト教一致に心を配っていたらしい。

会議で結局アリウス派が追放されたことは、彼を失望させるもので、その後も彼はアリウス派を復帰させようとした。が、新たに正当派とされた方はそれを受け入れず、その頑固さに実は皇帝は腹をたてて、正当派のほうを追放したこともあり、この問題での決着は、その後も尾をひくこととなった。

神とイエスは同体というのはある意味玉虫色決着で、神のほうは絶対的・審判的性格があり、イエスのほうは反権力的・救済的性格がある。この2面を持っているということが、キリスト教が権力的にも民衆的にも使えるオールマイティな特徴をもたせ、時代や立場によってどちらかが強調されて、キリスト教が使われることとなった。

下はニカイア公会議。中央はコンスタンティヌス、寝ころんでるのはアリウス

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。