大帝コンスタンティヌスの母ヘレナ-23統一

リキニウスはもう決戦を覚悟して、陸上15万人、海上300隻という兵力を整備していた。対するは陸上12万に海上200隻、コンスタンティヌス艦隊はテッサロニケで建造させていた。第一戦は324年7月3日、ボスフォラス海峡を越えたエディルネで陸戦が行われた。コンスタンティヌスは、今度は軍旗としてキリスト教のラパルムを掲げた。

大軍の戦闘は、両軍共相当の激しさであったが、やはりコンスタンティヌスが最終的に勝利した。何せこれまでラインとドナウで蛮族相手に戦いを重ねた兵である。指揮官と錬度が違いすぎた。リキニウス軍は、3万人程死んだようだが、退却の際に、それ以上が離散してしまった。

ビザンティウムに帰った敵に次は海からの攻撃が行われた。へレスポントの海戦の指揮は息子クリスプスが執ったが、やはり海戦では陸戦よりも差がつかず、なかなか勝利をつかむことができない。しかしクリスプスは、早朝はビザンティウムに向かう順風が吹くことを知り、いつもより早く船団を動かし、壇の浦の義経の如く順風に乗って一気に敵船に攻めかかり勝利した。陸海戦共に敗れたリキニウスはアジア側に逃れた。

リキニウスは、ニコメディアまで逃げた。しかしコンスタンティヌスはここで勝負をつけるつもりで追う。結局今回も異母姉コンスタンティアが仲介となり、首は免れ、テッサロニケで幽閉生活を送れるとのこととなった。しかし翌年、彼は謀反の疑いで結局処刑された。妻コンスタンティアは、その後キリスト教に改宗したようだ。

下はピエトロ・ダ・コルタナ作「へレスポントの海戦」

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。