大帝コンスタンティヌスの母ヘレナ-20ゲルマン

リキニウスとの戦いに一旦ケリをつけたコンスタンティヌスは、再び北方の蛮族との戦いに戻った。ローマとゲルマンとの関係でいくと、画期となったのが起源9年ドイツ北西、トイトブルクの森の戦いである。ゲルマン諸部族をまとめたアルミニウスは、ライン川を越えて侵攻するローマ軍2万人を全滅させ、ストップさせた。

以来ローマはマイン、ライン川沿にリメスという防衛壁を築いて境界とした。このトイトブルクの戦いは、1871年に成立したドイツ帝国によって、ゲルマン民族の強さのシンボルとされ、75年にアルミニウス=ヘルマン像が建立された。ローマ・キリスト教文明を超克しようというゲルマン民族のイデオロギーは、その後悲劇的結果をもたらすことになる。

リメスの向こうのトリーアやケルンにはローマ都市ができており、ケルンはあの悪名高い皇帝ネロの母アグリッピナの出生地で、ここに都市をつくれと命令してできたらしい。そしてケルンにはコンスタンティヌスの時代、ここにマテルヌスという司教がやってきて、早くも最初の聖堂がつくられている。

ローマ文明が浸透したガリア=フランスと違い、ライン川以降に文化的断層ができてしまったのは確かなようである。そしてこの時代に、ゲルマン民族が、リメス境界を突破してローマ化された地域に雪崩こんでくるようになった。

下はヘルマン像からトイトブルクの森を見渡す

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。