これも7年戦争の終わった1765年だが、皇帝フランツ1世が崩御した。皇帝を深く愛していた女帝マリアは、シェーンブルン宮殿に彼を偲ぶため真っ黒な部屋をつくった。そしてそれから黒服を着るようになった。皇帝位はすでにローマ王となっていた息子ヨーゼフ2世が継いだ。
67年9女マリア・ヨーゼファがナポリ王と結婚することになり、モーツァルト一家は再びウィーンを訪問した。第1回欧州遠征は、パリからロンドンまで行って、大成功を納めていた。ところが女帝は、伴侶帝の死後から、享楽を慎むようになっており、宮廷に目通りはかなわない。
それどころか、花嫁が天然痘で急死してしまい、なんとアマデウスまで病気になってしまった。一旦退避した一家は翌年再びウィーンを訪問し、今度は宮廷に赴くことができた。そしてここで新皇帝と運命の出会いをする。皇帝は、この天才少年にオペラを書かせることを思いつくのである。
当時オペラを書くのは出世への糸口だった。だがこの12歳の神童には早くも妨害工作が行われ、父は、皇帝に訴状を出すも慰労金だけで、一家はオペラの本場のイタリアへ赴くのである。そして当時13歳のアントワネットにバタバタとフランス王太子の結婚がすすんでいく。
下はヨーゼフ2世に謁見するモーツァルト
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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