スペイン継承戦争は北方でも異変を起こさせた。1701年1月18日、やがてドイツを飲み込むプロイセン王国が誕生した。ブランデンブルク選帝侯フリードリヒ3世は、神聖ローマ皇帝レオポルド1世に、8千の援軍を派遣することを条件に王国を認めさせた。
王国といっても神聖ローマの域外であり、皇帝の知ったことではない。しかし王という称号は臣民を一致させる。また先代フリードリヒ=ヴィルヘルムは「ポツダム勅令」を出して、フランスからの亡命ユグノー2万人を受け入れた。これがその後の躍進の力となるのである。
ザクセン侯国では、「鉄腕王」と呼ばれるフリードリヒ・アウグスト1世が、1697年、ポーランド・リトアニア王国の選挙に勝ち即位した。鉄腕王は、若い頃先進国を訪問、特にヴェルサイユ宮殿に感動し、ザクセンを北のギリシャと言われる芸術都市へと変貌させる。
ポーランド王はカトリックなので、彼はなんと自分の野望のために旧教に改宗する。このせいで、新教の中心は、ザクセンからプロイセンに移るのである。ともあれ、ポーランド王アウグスト2世となった鉄腕王は、自分の野望のために、ロシア、デンマークと共にスウェーデンに戦いを挑む。
下はフリードリヒ1世の戴冠
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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