何と何と今頃になってオスマンは再建をしていくのだ。1656年、メフメト4世のもとで、アナトリアを基盤としたキョプリュリュ・メフメト・パシャが大宰相となり、キョプリュリュ家のもとで、オスマンは、スレイマン大帝を凌ぐ最大領地を獲得してゆく。
大宰相は、アルメニア出身で、それまで官僚としてキャリアを重ね、大宰相になったときはゆるぎないネットワークが築かれていた。すぐクレタ島をめぐってダーダネルス海峡封鎖をしようとしたヴェネツィアを破った。そして返す手で、官界の腐敗を粛正して権力を確固とするのである。
そしてオスマンはハンガリーへ侵攻。この時期30年戦争とオスマンの混乱で、フリーとなったトランシルヴァニアは宗教的に寛容となって、黄金期にあった。ラーコーツィ・ジェルジ2世は、調子こいてポーランドに侵攻。しかし敗北して宗主国のオスマンの介入を軍事介入を招いてしまう。
1660年ラーコーツィ・ジェルジ2世が敗死すると、トランシルヴァニアはまたもやオスマンとハプスブルクの争いの場となった。61年神聖ローマ皇帝レオポルド1世は兵を送り反撃を試みるも失敗。帝国が擁立した領主も戦死したため、オスマンの支配が強まり、オーストリアは久しぶりにオスマンの脅威に直面する。
下はオスマン最大版図
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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