フランスはクロムウェルとの同盟でスペイン戦争を優位にすすめた。1658年6月14日、英仏軍はあの有名なダンケルクを包囲。実は当時ここはスペイン領で、ここから出撃するスペイン私掠船に英国は悩まされたのだ。仏軍が陸から英軍が海から攻撃して、この地は一時英国領となる。
仏宰相マザランは、名将ティレンヌにさらに西領下ネーデルランドを狙わせ、スペインを講和にひきこんだ。その決め手が、仏王ルイ14世と西王女マリア・テレサ・デ・アウストリアの結婚だった。西王女マリアはスペイン継承権がある。婚姻は国家の一大事である。
59年11月7日、仏西のピレネー条約が締結された。フランスは、下ネーデルランドの一部を手に入れ、仏西国境をピレネー山脈とし、カタルーニャの一部を手に入れた。スペインはカタルーニャやポルトガルへのフランスの介入をやめさせ、王女の結婚持参金を払う代わりにフランスの継承権を放棄させたが、後に破棄される。
実にフランスの勝利であり、この後の両国の立場の逆転を物語る結果となった。この結婚の裏には二人の女性がいる。サヴォイア公女マルグリットは、この結婚のあて馬に使われた。そしてルイ14世には愛人が居た。彼女はマザランの縁者であったが、マザランは国家を取り、彼女も宮廷から離された。
下はルイ14世の結婚タピストリー
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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